白銀の世界で

novel



 好きかなと、思ったんだ。




   

白銀の世界で






 ルックの目の前で、スィンの身体はがたがたと震えていた。森の中に日差しは落ちているけれど、それもない影の中にいるためか、ひどく寒そうに見える。恨みがましそうに視線を投げるスィンに、ルックは呆れて溜息を落とす。
「だから厚着して来いって言ったじゃないか」
 そう言って、念のためと持っていたマフラーをかけてやる。「ありがと」とスィンは不服そうに返事をしつつも、睨む目をやめない。
「そんな暇、なかったじゃないか」
 ルックは言葉を返さない。スィンは肩を竦めて、空を見上げた。
「もう帰らないと」
「……来たばかりなのに?」
 スィンはどこか諦めたように溜息をつく。――理由なんて、訊くまでもないけれど。
「無理矢理連れてきたんだろう……皆が、心配する」
 ぽつりと付け加えられた言葉は、どこか本心ではないように、ルックには思えた。ゆるゆると閉じられていく瞳は、どこか虚しい。
「それはないよ」
「え?」
「軍師サマの配慮だよ。今日一日、休むようにって」
 驚いて、スィンは目を見開く。「マッシュが?」
「正確に言うと、リュウカンが、少しは休みを取らせるようにって忠言したみたいだけど」
 それで僕に白羽の矢が当たった。ルックが言うと、スィンは首を傾げた。「どうして」
 ルックは何故だか怒ってやりたくなったけれど、それも違うような気がして、溜息を吐いた。
「歳が近いからね、無理矢理にでも休ませろって言われたんだよ」
「……無理矢理、ね。それにしても出会い頭にテレポートはないんじゃないかな?」
 漸くスィンは肩の力を抜いて、笑顔を見せた。
 強張って、固まった、微笑み。
 そんなもの見せなくていいと言っても、きっとその顔以外、今は浮かべられないのだろう。
「そうでもしなきゃ、休みやしないんだろう」
「さあ?」
 さくり。スィンが足元の雪を踏んだ。
「まあ、休めと言われたんだし、ここまで来てしまったしね、休むよ」
 さくり。さくり。
 新雪にスィンの靴の跡が残る。
「――ところで、何で、ここなの?」
 さく。さく。
 雪に一筋の足跡を残しながら進むスィンの背を追いつつ、ルックも曖昧に返事をする。
「さあ?」
 木々を抜けると、柔らかな日差しがふたりに注がれる。
 スィンは眩しそうに目を細めて、太陽を仰いだ。
「さあ、って、ルックが連れて来たんだろ」
「……なんとなくだよ」
 嘘。
 分かりやすいそれに、スィンはすぐに聡く気づく。
「うそつき」
 柔らかな微笑。
 儚い影は、雪に溶けてしまいそうなほどに脆く見えるのに。
 弱さを見せようとしないスィンを、ルックはいっそくびり殺してしまいたいほど憎らしく思う。
 つよいひと。
 皆彼をそう呼ぶだろう。
 自分もきっと彼をそう呼んでいた。ルックは思う
 ――あの表情さえ知らなければ、きっと。
「綺麗だね」
 ぽつんと呟かれた言葉は、確かにルックを安堵させるに足るのに。足るはずなのに。
 それが気使いだと分かってしまったから、嬉しくもなんともなかった。
 酷く意地悪い気持ちで、ずたずたに傷つけてしまえたらと思う。
 何もかも残らないくらい、ずたずたに。
 そうすれば。
 そうすれば彼はさらけ出すだろうか。
「なに不機嫌そうな顔してるの」
「地顔だよ」
 呆れた声に、ルックはつい刺々しく返した。スィンは苦笑して見せて、「好きなんだ」
「は?」
 突然の話題転換に、ルックはついつい不可解そうに訊き返す。スィンはさく、っと雪を踏んだ足を上げて見せて、
「ゆき」
 と子供のように言った。
「白くて、綺麗で、」
 はあ、と吐いた息は白く雪に消えて、
「やがて溶けてしまう」
 儚いね、と、まるで儚い影はうっすらと笑う。
「僕が残した足跡さえ、いつかは溶けていくね」
 ふと、スィンが今までの足跡を振り返る。「もしくは」
「新たな、雪に覆い尽くされてしまうのかな、」
「……悲劇ぶってるわけ?」
 どこか自虐的な響きが、妙にルックの癇に障った。
 そうやって、何もかも分かったように笑う顔も。
「違うけど、」
 また、落とされていく溜息さえ。
「……」
 いつからそんなに硬い殻が、彼を覆ってしまったのだろうか。
 咎めるように、視線を投げても、それは受け流されてなかったことにされてしまう。ただ誤魔化すためだけに、スィンはまた笑う。笑って、空を仰ぐ。「ねえ」
「ここって何処?」
「さあ?」
 雪の在るところ、としか考えなかったから、場所なんて分かるはずもない。ルックは適当に応えた。 「知ってどうするつもりさ」
「いや、知っていれば、さ」
 暖かな吐息は、白く空気に融けていく。
「また、来れるだろう?」
 誤魔化しを含む声は、泣きそうにさえ聴こえた。
「スィン?」
「言ってたんだ」
 ルックの問う言葉は届かない。スィンはただただ空を見ている。
「知っていれば、覚えていれば、いい、と」
 独白は空に還り、ルックを通り越す。
「覚えていればいいと、言ったんだ」
 誰が。なんて、問うまでもなかった。ルックはもう何も言わずに、馬鹿だね、と心の中だけで呟いた。
 馬鹿だね。
「帰ろうか」
 ルックの心内が見えたわけでもないだろうが、スィンは急にルックに向き直り、笑った。
 強張って、固まって、それでもなお美しいと思える微笑。
「このままじゃ、二人して、風邪引くだろうから」
 スィンの顔色の白さもあって、ルックは反論はせずに黙って伸ばされた手を取った。しかしその手を、スィンが急に引いた。
「ぇ」
「、とはね」
 ほんとうはね。
 小さくて、聞き取れない言葉の羅列。
 スィンの唇が動いて、言葉を辿る。
 けれどルックは聴こえない、見えないフリをした。
 何も言わずにスィンの手を握り、ルックはそのまま城へとテレポートした。







 ――皆って誰だろうって、思ったんだよ。







 そしてスィンは、やがて"皆"の前から姿を消した。
 それは全てが終わった後のことだったけれど。


end

2005.11.25 改稿


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