支柱

novel



 ぼんやりと、スィンはルックの目の前で立ち尽くしていた。振り返って見つめてきた目は酷く虚ろで、蒼白な顔を無表情か、それに近い苦笑に歪めて見せる。
「何でこんなところに連れてきた?」
 声は咎めるように、それでも、柔らかさを失わない。
 それは慈愛とか優しさではなく、感情の欠落した、人形のように。
「……」
 ルックは何も応えず、手を引いた。奥へ向かおうとするその手を、スィンは思い切り振り払おうとしたようだったけれど、何故だかそれはなかった。
 この先へ進むのが嫌だったのか。触れられるのが嫌だったのか。
 分からないけれど、分からないから、ルックはそのまま手を引いた。




   

支柱






 シークの谷は、朝も夜も変わらず水晶が煌めいている。
 幻想的ですらあるのに、ここで起こった出来事を知っているから、それはどこか悪趣味なオブジェのようにルックの目に映った。
「……何を考えてるんだ」
「……」
 訊ねてくる声に、ルックのなかで苛立ちが募っていく。酷く攻撃的な気持ちがせり上がっては、理性がそれを押し流す。
 問題の場所に入る、一歩手前でスィンは足を止めた。ルックが引いても、それ以上進まない。
 ルックにとってムカつくことではあるが、力はスィンのほうが強い。どうしようもなく、ルックはスィンを真正面から見据えた。
「……来たかったんじゃないの?」
「いつ、……誰がそんなことを」
 青い顔で、それでも震えることなく咎める声は続く。
「今は、大事な時期なんだ。城に、帰らないと……」
「逃げるな!」
 ふいと、踵を返そうとしたスィンをルックは思わず怒鳴りつけていた。感情を露わにすることなんて初めてで、怒鳴った側のルックのほうが戸惑ってしまった。
「……あんたの、親友だろう」
「っ」
 息を呑む声。ぐしゃりと前髪をかきあげ、深く息をついてそれでも、揺らぐことのない瞳。
 人形のように、固まってしまった笑顔のように、乾ききってしまった眼。
「……テッド」
 紡がれた言葉はとても小さかったのに、静か過ぎるほど静かなこの谷の中に綺麗に響いていった。





「これから、だったんだ……」
 ふらりと、問題の場所まで来て、スィンは目を瞑り、意識を失うかのように仰向けに倒れた。ルックは密かに慌てたけれど、ただ軽く目を閉じただけだと分かり、その独白を聞く。
「テッドは……漸く、解放されたばかりで……」
 ぐしゃりと、握られる右手。左手は、強く額を押さえている。何かを堪えているように。
「やっと、幸せを、安らぎを得られるはずだったんだ……!」
 応えなんて期待していないだろう。ルックにも応える気なんてなかった。
 それでも、どうすることも出来ない自分に酷い苛立ちと、やるせない気持ちを持て余した。
 ――彼をこんなに取り乱させるかの人間にさえ。

 それがどんな感情と称されるのかなんて、知らないけれど。





 かの人間が生きているということは、彼を支える一つの事柄だった。
 彼を支える大きな支柱は全て崩れ落ちた。
 彼の周りには多くの人間がいるだろう。
 多くの人間が彼を支えようとしているし、彼も彼らを支えようとしている。
 だから、きっと彼自身は崩れ落ちることなどないだろう。
 彼らのために、彼はひとり、立ち続ける。
 大きな支柱に自分がなれないことが悔しかった。
 そばにいるのに。
 ここにいるのに。
 こんなことを考えるなんて、夢にも思ったことがないけれど。


 それがどんな感情と称されるのかなんて、今は知らなくていいと思った。
 それでも、今はただ、そばに。
 微かでも、救いに。


end

2003.12.18

2005.11.25 改稿


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