たくさん

novel



 譲れないものはありますか。




   

たくさん






 ないよ、そんなもの。
 即答したルックに向かって、言うと思ったとスィンは告げた。
 言うと思った。と同時にルックも思う。こちらの返す言葉を考えて楽しむような癖が、軍主になったばかりの目の前のこの子供にはあった。
「君はあるの」
「あるよ」
 譲れないもの。
「たくさんありすぎて困るくらいに」
 そう、困るくらいに。繰り返し言い、スィンは微笑う。
 いつものように馬鹿とでも言いそうな瞳でルックは彼を見据えた。それでもそうは言わずに、例えばと問う。
「例えば何」
「例えば? 例えば――ここに集まってくれた人たち、皆で過ごすこの城、」
 食堂で密かに出される日替わりのデザートや、暖かなお風呂。
 ひとつひとつを指折りで滞ることなく数えて、スィンはちら、とルックを窺った。どこか楽しんでいるような顔つきに、今から自分がからかわれるのだろう事をルックは知る。
 しかし、それさえも慣れてしまったことにルックは溜息を吐いた。慣れてしまってそしてそれを許されることを、目の前の子供も分かっているのだ。
「なに」
「その、たくさんなものの中に」
 闇色のひとみが、しっかりとルックを捕らえる。――ざわりとした空気が遮断される一瞬。
「ルックを数えてもいいかな?」
「、」
 何を言われたのかすぐには分からず、ルックは言葉に詰まる。瞬時に何か落胆するようなことを言い返してやろうと思っていただけに、悔しい気持ちで視線を逸らした。――とたんに帰ってくるざわめき。
 冗談じゃない、言い捨ててやろうとルックは思う。言い捨てても何も言わなくも、きっとスィンには意味などないのだから。これは個人ではなくて軍主としての言葉だと、ルックには痛いほどよく分かる。分かっている。
 ただ、それでも言い捨ててしまうには、あまりに甘美な誘いだった。
 譲れないもの。大切なたくさんの中のひとつ。闇色のひとみ。――そんなものはいらないと、少し前なら簡単に言ってしまえたに違いない。
「好きにすれば」
 諦めとともに、ルックはぽつりと呟く。ルックの言葉に、スィンは一瞬だけ目を瞠り、すぐに笑んだ。そうするね、と心の底から優しい声。
 たくさん。それはどれだけのものを意味するのだろう、ルックは思う。そのたくさんはスィンにとって譲れないもの、そしてそのたくさんにとっても、スィンは譲れないものなのだろう。
 そう考えると、腹の底で何かが蠢いた気がした。胸焼けにも似たもの――名を明確にするまでにはまだ至らない。
 それでも言わずにはおれない衝動。――譲れないものがあったのだと、初めてルックは知った。
 それは決して、楽しい感覚ではなかったのだが。
「埋もれるのは好きじゃないよ」
 静かな言葉に、スィンが首を傾げる。どういうこと、と訊ねる声に、ルックはもう応えなかった。


end

2004.10.2


novel


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