孵化
novel
それは確かに息づく音。
孵化
眠れない、と気づいたのはずっと前。
子犬みたいな二人組に挟まれてトランプなんてして遊んで、まだまだと意気込む二人に「もう遅いからお休み」と言って三時間が経った。
(失敗したかな、)
転がったベッドから、斜め上に位置する窓の外の空を眺めて苦笑する。乾いた目を閉じるのが無駄だと気づいたのはつい先程のこと。
『泊まっていきませんか!?』
誘われるのはいつものことで、断るのはいつものことだったけれど。
『良いよ』
と頷いたのは初めてだった。
軽い気持ちだった。
あの魔法使いの存在があったというのも、もちろん過言ではないけれど。
(しょうがない、か)
がば、とスィンは起き上がり、ベッドを降りた。掛けておいた外套を夜着の上に纏い、部屋を出る。
(ビクトールあたりは、まだいるかな……)
少し酒を入れれば眠気も来るだろう、と思い、目指すは酒場。閉まっていたらそのときはそのときと、スィンはゆっくりと廊下を歩む。
夜も更けた城はひっそりと静まり返り、呑み込まれてしまいそうだな、とふと思う。まるで自分の右手に宿る、闇のよう。何の気配もさせずにただその闇の匂いを振りまいて、相手を取り込んでしまうのだ。
「なんて、」
あの魔法使いが聞いたらどう思うだろう。答えは決まってるけれど。
そこまで考えて、スィンはぴたりと足を止めた。
どうしてだろう、
最近考えていることは、
「ルックのことばっかり……?」
「何か用?」
「えっ? わっ!?」
いきなり背後で声がして、驚いてスィンは振り向く。声の主は今考えていたばかりの魔法使い。
「ルック……驚かさないでくれる?」
憮然と佇む彼に、息を吐き心臓を落ち着けさせながら、スィンは言った。ルックは憮然としていた顔に更に眉間に皺を寄せてみせる。
「人の名前を呼んどいてそれはないんじゃない?」
「あー……聞いてたか」
別に困るようなことでもない。けれど何故かバツが悪い気持ちになって、スィンは頭を掻く。バンダナを巻いていないことに少し違和感を感じた。
「で、僕がなんだっていうのさ」
「ん、いや何でもないよ」
「何でもって、君ね――」
「それよりも」
スィンは慌てて嘆息して深く訊こうとしてきたルックの言葉を遮った。それにルックは多少鼻白んだようだったが、更に嘆息して「何?」と促す。
「ルックはこんなところで何してるんだ? こんな時間に」
「……君に言われたくないね」
多少の間に、訊かれたくない事か、とスィンは判断を下す。話題を逸らすためだけだったので、あえて突っ込まずに「早く寝たほうが良いよ、明日も早いんだろ?」とだけ返した。
「だから君に言われたくないね。君こそ何をしてるのさ」
「いや別に、それこそ大した事じゃないんだけど、」
散歩だよ、とスィンはうそぶく嘯く。
「いい空気だしね」
笑って見せたスィンに、ルックは軽く頭を押さえる仕草をした。
「君ね……」
次の瞬間、ぐい、とスィンはルックに手を引っ張られ、前のめりに足を進める。
「ルック?」
「ほんとに馬鹿なんじゃないの、君」
不思議そうなスィンの声音を無視して、ルックは言葉を吐き捨てる。その間にも、ぐいぐいとスィンの手を引き、ルックは何処かへと歩き出した。
「ば、馬鹿って……ルック……何処行くの?」
どうしたら良いのかわからず戸惑って、スィンは大人しくルックに手を引かれるまま歩く。怒ったように足早に進むルックの顔は前を見ているために見えず、さらさらとした金茶の髪が目の前を踊る。
「ここだよ」
案外とすぐに着いたのは、一つの部屋。
「ここは……」
「僕の部屋だよ。ほら、早く入りなよ」
「え、うん」苛々と促され、スィンは部屋に入る。この城で泊まることが初めてならば、この部屋に来ることも、初めてだ。
部屋のベッド脇には明かりがまだ点いていて、ベッドの上には分厚い魔道書が開かれた状態で放っておかれている。
「えーとあの、ルック?」
「何ぼさっとしてるのさ、」
どうしろと、と思った矢先に再びひっぱられ、スィンはベッドに腰掛ける形となった。
「え、なに」
「眠れないんだろ」
ぱたん、と近くにあった魔道書を閉じ、それをテーブルに置きながらぶっきらぼうにルックは言った。
「ああ、ほら、外套は脱いで。狭いけど我慢しなよね」
てきぱきと脱がされて、ベッドに横にされる。目を白黒させているうちにルックもベッドに入り、スィンの横に並ぶ。
「ルック……?」
「少しはものを考えたら」
ぽすん、と頭を抱えられ、自然とルックの胸にスィンの額が当たる。髪を優しく撫でられる感触。
「馴染まない城で慣れない部屋で、寝ようと思って寝られるわけないんだよ。君みたいな人間はね」
「……」
言い当てられ、スィンは黙った。
確かに、その通りだと気づく。
最近は彼のおかげもあってか、この城にいることが多少苦痛でなくなった。それで少し調子に乗ってしまったのかもしれない。
旅先の宿屋とは違い、自分のために用意された部屋。けれど今まで一時間だって過ごしたことのない部屋。
知らない空気。知らないシーツの感触。冷たさ。
ただ目は冴えるばかり。
頭を預けたまま、スィンは溜息を吐いた。
「あーもう、ほんとにルックには敵わないなあ」
「何今更当たり前なこといってるのさ、さっさと寝なよ」
不機嫌な調子で繰り出される言葉とは裏腹の、髪を撫でる優しい手つきにスィンは微笑う。自分の知っている、柔らかで暖かな風の匂いに意識のまどろみを感じる。
「ルック」
当てられた胸から、優しい音を聞く。
「なに」
「おやすみなさい」
とくんとくんとくん。
「……」
その音は確かに自分を癒し。
「……おやすみ」
確かに自分に息づく音。
end
novel
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