願いごと

novel



 一瞬の出来事だった。

 戦闘が一段落ついたところで、おそらく誰もが気を抜いていた。これが片付いたら一度本拠地に戻ると予定していたせいもあったかも知れない。
 だからフリックも、唐突に自分の背を押された理由が分からなかった。踏ん切りがつかず、前につんのめった。青い空が視界のなかでブレて、転ばないようにバランスを取るのが精一杯だった。
 慌てて振り返る。「おい、何を――」
 言いかけた文句は、仲間の悲鳴に打ち消された。何が起きているのか、咄嗟にはフリックは理解が出来なかった。自分の背を押したのがスィンであることは分かった。真後ろにいた彼は、フリックと目が合うと、少し微笑んだ。けれど、それも一瞬だ。フリックが半ば無意識に手を伸ばす先で、スィンはよろけて地面に膝をついた。クレオとビクトールが、左右から支えるように慌ててしゃがみ込む。
 赤い雫が、スィンの腕に滴っている。フリックの血の気が下がる。
 
 呼吸の仕方を一時、忘れた。





 それからは、少し騒ぎになった。
 攻撃は矢によるものだった。フリックを狙ったのか、それとも射た先にいたのがフリックだったのか――詳しいことは知れない。狙撃手は、同行していたキルキスによって、すでに物言わぬ姿となっている。
 意外なまでにスィンの傷は深く、パーティはすぐに本拠地に戻り、スィンは部屋へと運ばれた。部屋にはリュウカンと、ルック、ジーンが呼ばれた。
 ビクトールとフリックとでリュウカンの指示を受けつつ矢を抜き、ルック、ジーンが紋章によって傷を塞ぐ。スィンの意識はしっかりしていたが、治療が終了したときには気を失っていた。誰かが紋章の力で眠らせたのかも知れないと、後に気づいた。
 命に別状はないというリュウカンの言葉に、その場にいた全員から安堵の息が漏れた。
 看病する役目は、フリックが負った。誰もが替わりたがったし、特にクレオは最後まで自分がと言い張ったが、フリックもどうしても、譲るわけにはいかなかった。
 あのとき、スィンが自分の背を押したからだ。
(庇われた)
 ベッドの横に置いた椅子に沈むように座りながら、フリックは深く息を吐いた。頭をかきむしりたい衝動に駆られる。
「馬鹿やろう……」
 自分に言いたいのか、スィンに言いたいのか。自身でもよく分からない。だが漠然と違う、とずっと思っていた。
 庇われるべきは、自分ではないのに。と。
 呟いた声が聞こえたわけでもないのだろうが、スィンが呻く。フリックははっとスィンを覗き込むと、眉間にしわが寄っている。額にかかる髪を除けるように頭を撫でると、いやに静かに瞼が上がった。
「あ……」
 まさかこんなかたちで目が覚めるとは思っておらず、撫でるために触れた手が気まずい。スィンはその内情を知ってか知らずか、無表情のままフリックを見つめる。
「起きたか」
「ああ」
「気分は、ってちょっと待て」
 肩の様子を確かめるようにしたかと思えば、スィンはすぐに起き上がろうとした。フリックは慌ててそれを押し止める。
 スィンは深く呼吸した。フリックにも分かるくらいに。「身体が少し重いが」
「具合にも傷も、特に問題はないと思う」
 その言葉に、フリックは安堵しつつ頷く。
「傷を塞ぐのに時間がかかった」
 スィンはゆるりとフリックを仰ぐ。目が少し潤んで見えるのは、寝起きだからか。促されるようにフリックは続けた。「後で熱が出るかも知れないとリュウカンが言っていた」
「そうか」
 スィンが簡単に頷いてしまうと、あとには沈黙だけが残る。フリックは少し迷ったのち、席を立った。つられるように上がるスィンの顔に「スィンが起きたことを知らせてくる」と応える。スィンはやっぱり静かに頷き、その前に、とフリックを引き止める。
「言いたいことがあるんだろう。何だ?」
「……ああ」
 フリックは躊躇い、視線を逸らす。しかし、服の裾を光れ、観念して腰を再度下ろした。
「何だ」
 いま口に出すか否かの葛藤があった。スィンは倒れたばかりで、自分は若干だが苛立つ気持ちを抑えられずにいる。あまりいい会話ができるとも思えない。
 それでも何でもないと、濁してしまう気にはならなかった。「何で、……」
「何で、庇った」
 スィンの目が、僅かに見開かれる。フリックにはその瞳が、少しだけ震えたように見えた。
 「咄嗟だったけれど、何も考えなかったわけじゃない」柔らかいとは言えない表情が、それでも少しだけ緩む。「ただ他に何も、助けが間に合う方法が浮かばなかった」
 フリックは拳を握る。そうじゃない。外に出すつもりはない声が、それでも零れていく。「そういうことが、言いたいんじゃない」 
「死んだら、どうするつもりだ」
 ひどく強張った声だと自分でも分かった。抑揚のないスィンの表情が、少しだけ動いたようにさえ見えた。
「お前は、自分が軍主だっていう自覚があるのか」
「ある」
「嘘を吐くな」
 すぐに返された言葉に苛立ち、フリックは吐き捨てるようにして立ち上がる。
 白いシーツに、自分の影が色濃く落ちる。スィンは、静かにフリックを見上げた。「フリック」
「嘘じゃない。僕は、きちんと考えてる」
「だったら、どうして……」
 相手の冷静さに、苛立ちが増す。フリックは胸の内に渦巻く熱い感情を外に出すすべも見つけられず、前髪をかきあげた。「くそっ……」
 ぐるぐると視界が回っていた。あの感覚を、どう伝えたらいいのか分からない。この感情をどう表現したらいいのかも。
 失う、と思った。
 指先から感覚がなくなって、喉ははりついたように一気に干からびた。「俺は、」
「俺は、そんなに便りにならないか……?」
「違う」
 スィンはわずかに身を起こし、フリックの服の裾を引いた。――焦っている。珍しくも、感情が表に現れている。それが分かって、急にフリックの頭が冷えた。
 唸りながら、再度椅子に腰を下ろす。そうして顔を覆った。「悪い」
「フリック?」
「庇ってもらったっていうのにな、俺」
 ありがとう、という言葉にスィンはゆるりと首を振った。
「勝手にしたことだよ」
「そうだとしても……」
「マッシュたちにも、いつも怒られるけど、嫌なんだ」
 フリックは不意に気づく。スィンの手が、自分の服の裾を掴んだままだということに。けれどあえて、それを指摘しなかった。ただ促す。「何が」
「目の前で誰かが傷つくのは、嫌だ」
 それはひどく幼い願いごとのように響いた。
 何度も戦場を駆けて、いくつも大切なひとを失った。その度に、どんどんスィンは肉体的にだけではなく強くなっていったけれど、決してその全てを受け入れていたわけではないのだろう。そこには同時に重く厚い、静謐さが漂っていた。
 フリックは苦さを噛み締める。そういう人間だと、分かっていたのに――。
 分かっていたはずだったのに。
 手を伸ばす。頭を撫でようとして、やめる。捲れた毛布を直してやりながら、「同じだ」と応えた。
「同じ?」
「俺だって、目の前で誰かに怪我をされるのはきつい。特にお前が倒れたりするのは、心臓に悪い」
 スィンは少しだけ、表情を曇らせた。眉尻を下げて、口元だけで微笑む。「リーダーだからね」
 「そうじゃない」フリックは溜息を吐いた。結局、うまく内情を伝えきれないもどかしさに、スィンの頭を撫でる。「逆に聞くが、お前は俺が軍の副リーダーだから庇ったのか?」
「っ、そんなわけ――」
 言いかけたスィンが口元に手をやる。そういうことだろ、と言うフリックに、渋々のように頷いた。
「お前がそういう性だっていうのは、俺も、マッシュたちもさすがにもう分かってはいるがな。……自分のことも、もっと大事にしてくれよ」
「――死なないよ」
 スィンはひっそりと呟く。フリックがまじまじと見つめる先で、いつものような無表情に近い笑みを浮かべる。
「僕は死なないし、死ねない」
 そういうふうに決めている。
 まるで運命すら自分の手のうちにあるとでも思っているかのようなスィンの言葉を、フリックは笑い飛ばすことは出来なかった。だが、思い詰めた様子に、それを肯定してやることも出来ない。
「スィン」
 せめてその表情を崩させたくて、強くスィンの頭をかきまわした。
「死なないなら、それはそれでいい。でも、できれば」
 言葉をとぎらせたフリックを、スィンが見上げる。笑みはない。表情を、どこかに忘れたかのようにただただ無表情のまま。
「できれば?」
 フリックはぐしゃぐしゃに崩した頭を軽く叩く。息を軽く吸い込んだ。
「俺に、お前を守らせてくれ」
 スィンは目を見開いた。かき乱した髪も相まって、その姿は年齢よりもひどく幼く見える。
 答を待つフリックに、スィンは笑みにも似た吐息を零す。
「――いいよ」
 許可よりも、観念に近い様子の返事だった。スィンはフリックに微笑んでみせる。「死なないと、約束をするのなら」
 フリックが生真面目に頷くのに、スィンは肩を竦めた。
「フリックは僕を甘やかし過ぎだと思うけれど」
「そうか?」
 甘やかしている自覚がないわけではない。しかし、こうでもしないと甘えない本人の頑さを考えれば、これくらいでちょうどいいとも思う。そもそも、自分よりもスィンを甘やかしている人間は山ほどいるはずだ。
 フリックの服の裾を握っていた手が離れていく。それを何となく惜しんで、フリックはその手を掴んだ。
 その手が頼りないわけではないことを知っている。けれど今だけは、甘やかしても許されるような気がして、手を繋いだ。
 スィンは困ったように笑ってみせる。「もう寝るよ」
「ああ」
「離さなくなるかも知れない」
「構わない。そもそも、俺が繋いだんだしな」
 スィンは嘆息を漏らす。だから甘やかし過ぎなのだと言いたいのだろう。
 何かを言われる前に、フリックは繋いだ手を少し揺らした。
「寝ろ」
 スィンは少しの間、フリックを見つめた後、小さな相槌とともに瞼を下ろした。その表情が先程までより幾ばくかだが安らかなことにフリックは安堵し、自分も肩の力を抜いた。


end

2011.08.01


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