幻痛

novel




「私の、力不足です……」



 魂の脈動を、確かにこの手に感じた。
 けれど、夢でも夢でなくとも、彼に会うことはなかった。
 だからかも知れない。
 この手を、振り解けないのは。




   

幻痛






「夢を、見るんです」
 フィルはそう言って、溜息をひとつ落とした。
 姉を亡くした後の彼の衰弱ぶりは酷く、もとから細い首など、今は片手でも折れてしまいそうだ。
 横になったフィルを、何でもないかのように、しかし内心痛々しく思いながらスィンは布団を掛けなおした。
「ゆめ、」
 スィンの、訊ねるような調子に、フィルは「うん」と頷いた後に慌てて「はい」と言い直した。
「ナナミの」
 ぼんやりと呟かれたそれは、スィンを少しだけ動揺させる。
 それに気づいているのか否か、フィルは言葉を続けた。
「白い光の中に、ナナミがいるんです。こっちを見て微笑っているようだけど、どうしても、その顔は見えなくて」
 近づいて近づいて。
 手を伸ばして。
「触れた、と思った瞬間には、世界は弾けて」
 目が覚める、と自嘲のようにフィルは嗤った。
「フィル……」



 ふと、スィンは思い出す。かの魔法使いの言葉。
『紋章は宿主に干渉するからね』
 夢を、そう言えば自分も相談したことがあったと。
『君は魔力が高いから、それなりに紋章本来の姿が見えるんだろう』
 どうでもいいこと、というより寧ろどこか忌々しげに彼は言った。
 スィンは訊ねた。魔力が高くなかったら、夢を見ずにすむのかと。
『惑わされるだけだよ。自分の周りの何かに変化して、惑わすだけだ』
 今より酷い悪夢を見る羽目になるよ。



「その夢は、優しいけど」
 会いたくて、会いたくて。
 でも、もう二度と会えない人だから。
「どうしたって、優しくなくて」
 不意に、繋いだ手を強く握られて、スィンは戸惑う。
 慰め方なんて、知らない。
「だって、ナナミじゃないから」
 ああ、分かっているのか、とスィンは内心で呟く。
 フィルは、決して愚かしくはないのだと、今更に悟る。
「だけど、今でも、思うのは、あのとき、あの、ティントのとき、泣きついてでも、シュウに呆れられても、皆に、軽蔑されることになっても、あのとき、最後まで、」
 逃げて、いたのなら。
 言葉は、溢れずに、涙が零れた。
「フィル……」
 言葉を探したけれど見つからず、ただ名を呼ぶ。
 フィルはぐっ、と唇を噛み締め、瞼を一度、きつく閉じた。
「スィンさん」
 更に、強く握られた手。
「今だけ、今夜だけでいいです」
「うん」
「明日からは、また、強くなりますから。皆の前で、笑ってみせますから」
「うん」
 髪を、静かに梳いた。それに導かれるように、フィルは言葉を詰まらせ、嗚咽を少しだけ漏らす。
「今だけは、手を繋いでいてください」
 幻を見ないですむように。
 いなくなった半身とも言える存在を、この手が求めなくていいように。
「ただ、今だけは」
 明日を、生きていくために。


end

2004.3.7


novel


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