「どうも、良くないですね……」
そう重い溜息を吐いたのは、ここに自分とビクトールとを呼び出した軍師だった。
フリックは、自分がなぜ呼び出されたのか分からず、ただマッシュの言葉を待った。
内密に、と軍師に呼び出されたのはソニエール監獄から帰ってきて、皆が漸く落ち着きを取り戻した頃だった。リュウカンの解毒剤作りのほうも目処が立ったようで、後はスカーレティシアに乗り込むばかりという時期だったので、何か問題が起きたのかと身構えた。けれど、フリックの懸念は外れたらしい。横にいたビクトールが、マッシュと同じように息を吐いた。「スィンのことか」
「他にないでしょう」
狭い部屋で、男三人顔を突き合わせているという状況が落ち着かず、フリックはふたりから少し離れた位置に立ち、話を聞いた。弟子だと称するアップルは、おそらくマッシュの指示で席を外しているのだろう。
「良くないっつってもなあ……スィンにとって、グレミオは家族のような存在だったんだ。亡くして、精神的に来てるのはどうしようもない」
「ええ、それは私も分かっています。心配しているのは、身体のことです」
身体? ビクトールとフリックの声が重なる。マッシュは一度頷いた。「グレミオのことがあってからも、スィン殿はしっかりリーダーとしての役割を果たしている。いや、以前にも増して必死に取り組んでいる……鬼気迫る、というのでしょうかね」
ただ、マッシュは続ける。
「うまく休息を取れていないようです」
「ああ、なるほどな……」
「確かに」
二人は顔を顰めながら頷いた。あの件のあと、スィンは特に何かを口にしたりはしなかった。淡々と軍議を進め、淡々と軍主としての役割を果たしていく。綺麗に伸びた背筋はそのままだが、最近明らかに痩せたとフリックにも分かった。
「放っておくとどうやら地図や書類を睨みつけて一晩過ごしていることもあるので、睡眠に関してはきちんと取っていただくよう申し上げたが……」
眠れているかどうかは定かではない。マッシュは言う。
ビクトールは首を振った。「寝なくても、寝床に入るだけましだ。他には?」
「食事です。どうもひとりだと、抜いている可能性が高い」
「確認したのか?」
「うまいこと誤摩化されました」
マッシュが肩を竦めると、ビクトールは苦笑した。フリックは憮然とする。スィンはそういうことを誤摩化すのがうまい。のらりくらりと話を躱して、結局応えをはぐらかされたとこちらが気づくのは、話し終えて随分経ってからだ。
「基本的に、誰かに心配をかけるのを嫌っているようですから。食事に誘えば自身でも食事を摂るでしょう」
「それで俺たち、か?」
子供じゃあるまいし――と考えかけて、思考が停止する。いや、子供だ。首を振った。まだ、二十歳にも満たない子供。立場のせいか、どうどうとした態度のせいか、それとも妙に強い腕っ節のせいか、どうにも忘れそうになる。
「ルックやシーナは? あいつらのが適任じゃないのか?」
「彼らは彼らでもちろん気を付けてもらっていますが、こういうとき、大人がきちんと対応できなくては信頼を損ねかねない。クレオやパーンは、本人たちも気持ちを落ち着ける時間が必要でしょうし……」
マッシュはそれから少し考えるような素振りをみせた。「もともと、スィン殿は大人のなかで育ってきた方です。大人に対してのほうが、弱みを見せるかも知れません」
「それはどうだかな……」
そんなに殊勝にも見えないとフリックは首を傾げる。ビクトールはその肩を軽く叩いた。「深く考えるすぎるなよ。要は一緒に飯食うだけだって」
「まあ、それもそうだな」
「んじゃ、頼むな」
「は?」
ぽん、と肩を叩かれフリックは目を瞬かせた。頼む?
「お前、スィンときちんと和解してねえだろ。いいチャンスだと思って誘ってこいよ」
「え、いやちょっと待て。こういうのはお前のほうが――」
「そうですね」
フリックの言葉を遮ったのはマッシュだった。「実はスィン殿をいまだリーダーと認めないという動きが、極々僅かながら残っています。ここでフリック殿とスィン殿が和解してみせれば、それも抑えられるでしょう」
「何故俺が……」
「あなたが解放軍の副リーダーであり、オデッサの最も信頼していた人物だからです」
マッシュは淡々と述べた。
それでもフリックの胸はきつく痛んだ。愛してやまない彼女の死は、いまだに受け入れきれない。
別に今更、スィンを認めていないということはなかった。ただ、強く美しかった彼女のぬくもりを、どこまでも追おうとする自分がいるだけで。
「フリック殿、どうか」
マッシュはフリックの前に進み出ると、静かに頭を下げた。
フリックは拳を握る。低い声で「わかった」と同意した。
2011.05.26
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