ゼロセンチ

novel



 小さな森だった。
 宿を決めた町に隣接するその場所に行きたいと、ロイは珍しくマーカスに我侭を言い、その森が危険ではないことを確認し、更に護衛をつける――ロイは真っ先にウォルトの名を上げた――ことで漸く許可を貰ったのだ。勿論そこに至るまで、ロイはひたすらマーカスの小言を聞きつづけることになったけれども。
 ――それは本当に小さな森だった。小一時間ほどもあれば、ぐるりと一周出来てしまいそうなくらいには。




   

ゼロセンチ






 初めは久しぶりに肩の力を抜けると喜んでいたロイも、次第に機嫌が悪くなっていった。機嫌が悪い、と言うのは語弊があるかもしれない。――楽しいけれども楽しくない、そんな気持ち。
「ロイさま?」
 どうかしましたかと訊ねるウォルトに首を振る。それから、ふう、と溜息をひとつ。
「もう戻ろうか――そろそろ、一時間くらい経つし」
 ロイの言葉に、「そうですね」とウォルトはあっさりと頷く。その返事に、ロイは酷く悲しくなった。
 ウォルトといると楽しい。それは今でも変わらない。ただ、彼の敬語を耳にすると、堪らなく寂しくなるのだ。
 幼い頃は良かった。何の感慨もなく、手を繋いで走り回って、笑いあった。喧嘩もした。勿論仲直りも。
 ウォルトの敬語を聞いていると、そういうものがたちまち自分から遠ざかっていくのを、ロイは感じていた。もうそんなことは出来ないと、確かに自分たちを別つものを、ウォルトが掲げてしまうからだ。
 ウォルトは何とも思っていないのだろうか。ちらりと思う。
 ――あの日々を、懐かしく思うことも?
 そう思った矢先で、ぴたりとウォルトの足が止まった。
「ウォルト?」
 いぶかしんで、ロイは困ったように立ち竦んだ彼の視線の先を追う。――ルトガーとクラリーネ。ただならない様子だった。
「どうしましょうか……」
 喧嘩というよりも、クラリーネが一方的にルトガーに対して怒っているようだ。そう遠くはない距離から聞こえてくる言葉を拾うと、どうにも痴話喧嘩らしいことが、ふたりに知れた。
 痴話喧嘩なら、それはそれで放っておくのだ。ルトガーとクラリーネは、いつでも喧嘩――というより、クラリーネが一方的に怒ることの方が多かったが――をして、それでも気付けばまた二人はそばにいた。仲裁に入るのは、ただの薮蛇になるだろう。
 問題なのは、二人が立っている場所だった。森の入り口。
 居合わせたら気まずくなることは必至だったので、思わず隠れてしまった場所を、ふたりは見渡した。うっそうと茂った森。漸くある一本の道の先には、痴話喧嘩中の二人。
 彼らに気付かれずに町に戻るのは、先ず無理なように思われた。
「……仕方ないね。少し、ここで待とうか」
 木の影に座って、ロイとウォルトは嘆息した。
 その間にもクラリーネの声は止まることを知らない。むしろルトガーが静か過ぎるようにも思えるくらいだった。
「僕は、女のひとがあんなふうに泣くのを初めて見ました……」
 ウォルトの呟きに、ロイは頷く。
 彼女はルトガーに怒鳴りつけながら、ぼろぼろと泣いていた。それは口から零れだす言葉よりも、よっぽどルトガーに想いを伝えていた。寂しさや悲しさではなく――より激しい愛しさを。
 ロイとウォルトはふたりで顔を見合わせながら、お互いに頬が紅潮しているのを知る。恋愛とはああいうものなのだと、目の前に叩きつけられた衝撃は小さくなかった。
 ふたり、語る言葉も見当たらず押し黙る。やがて喧騒が途絶えたので、もう行ってしまったのかと顔を上げて道の先を見た――が。
「っ、」
 キスをしていた。それは彼女の激情を全て宥めてしまうような、穏やかさや優しさがあったが、同時に性的な感触をも含んでいた。
 心音が高鳴る。これではただの覗きじゃないかと自分を罵りながら、どうしてもロイは目を逸らすことが出来なかった。隣にいるウォルトも同じようで、息さえつけない様子だった。
 ――そのとき不意に、ロイとウォルトの手が触れあった。
 驚きに、互いに顔を見ながら手を引く。いや、引きかけて、ロイはそれを手放すのを惜しんで、あえてウォルトの手を追った。縫いとめるように、その片手に自分の手を絡める。ほとんど、本能のままに。
「ロイさま?」
 戸惑った様子のウォルトの声に、ロイがはっと我に返る。十センチもない、お互いの顔の距離に、どうしてだかつられたように戸惑った。
 ――別に何でもない距離のはずだ。子供の頃は、もっときっと近かった。
 そう思うと、ロイはその距離をもっと縮めたい情動に駆られた。ぐっと近寄る――唇が微かに触れて、弾かれたようにロイが身を離す。縫いとめた手はそのままに。
 ウォルトが目を見開いていた。ロイはそれからどうしたらいいのか分からず、もう一度触れたい衝動を堪えながら、その目を覗き込んだ。
 ――昔と変わらない色。





 ルトガーとクラリーネはいつの間にかいなかった。
 遅くなったふたりを捜しに来たアレンは、その顔が妙に赤いことを不思議に思ったのだった。


end

2004/11/27


ルトクラなのには別に意味はないのですが。

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