相合い傘

novel



 白い傘を広げた。
 その手は、広がった傘の布よりも真白で華奢で、今にも傘の重さに負けてしまいそうに、彼には見えた。




   

相合傘






 テラスへと身を躍らせたラクスに、アスランが眉根を寄せる。
「散歩、ですか?」
 どうして、今。
 言葉に出さなくても伝わるだろう雰囲気に、それでも気付かないのか、ラクスは「ええ」と可愛らしく頷いた。
 くるりくるり。彼女の手の中で傘が回る。
「お嫌、ですか?」
「そんなことはありませんが……風邪をひきますよ」
 苦笑して、アスランは彼女の横に進む。
 人工的に作り出された雨は、それでも綺麗に見える。
「何も今じゃなくても。また、いつでも付き合いますから」
「いいえ」
 くるり。傘を動かさずに、ラクスが回った。アスランの、すぐ手前に来る位置。
 アスランの顔が真っ赤に染まる。
「今がいいんですの」
「……何故、」
「だって、雨なんですもの」
 ふわりと笑う、彼女の真意を、いつもながらアスランは知ることができない。
 ふわり、ふわり。羽が生えて飛び立ったとしても、きっと驚かないその柔らかさ。
 アスランは苦笑して、肩を竦めた。「分かりました」
 彼女に敵うはずがないことなど、とうの昔から知れている。
「まあ、ありがとうございます、アスラン」
「では、僕も、傘を……」
「いいえ」
 玄関に置いてきた傘を、取りに行こうとするなり、白い手が彼の服の裾を掴んだ。
「この傘で、十分でしょう?」
 え、と驚くまもなく、少女が胸の内に納まる。柔らかな髪が首や顎を掠め、アスランは少し照れた。
「では、参りましょうか」
 混乱しているのだろうアスランを見てラクスは微笑み、「行って来ますわね、お留守番よろしく、ネイビーちゃん」とハロの一体に声をかけた。
「ミトメタクナーイ」
 ハロは相変わらずの調子で応えた。
 ネイビーの背には、うっすらと白いインクの跡が見えた。





 白い傘は、確かに二人納まることができる大きさだった。
 しかし、それでも狭いものは狭い。
「まあ、アスラン。もっと寄らないと、濡れてしまいますわ」
「いえ、これくらいは……」
「駄目です」
 どうにも傘の中心を彼女の頭上に持ってくる婚約者に、ラクスは微笑む。身体を押し付けるようにその腕にぎゅ、と抱きついた。
「ラ、ラクス……」
「これなら二人、濡れませんでしょう?」
「それは……その、そうかもしれませんが……」
 口篭もって、結局アスランは何も応えずに散歩を続けた。それでも無理に彼女を押しやったりしないあたりが彼らしく、ラクスは知らず、笑みを浮かべる。
「しかし、また、何故雨の中散歩をしたい、なんて言い出したんですか?」
 ずっと訊ねたかったのだろう。
 心底から不思議そうな目が、ラクスを捉える。
「雨だから、ですわ」
 先程と同じ言葉を、ラクスは繰り返した。
「たとえどんなことであっても、貴方とはやってみたくてたまらなくなりますのよ。例えば――こんな風に、」
 傘の柄を持つアスランの手に、ラクスは自分の手を添えた。
「相合傘」
 びっくりしたような翡翠のひとみ。
 愛しさが込み上げて、ラクスは知らず声に出して笑った。
「ラクス……」
 そんな彼女を見て、アスランが困ったように嘆息した。
「先週僕の車とハロに、相合傘の落書きしたのは貴方ですね」
 ネイビーと呼ばれたハロの白インクの跡。
 同じ跡が、車にも書いてあったのをアスランは思い出す。近所の子供の悪戯だろう、と思っていたのだが。
「まあ!」
 心外だとも、そうだとも取れる声をラクスが上げる。
「ふふふ」
 けれども、否定の言葉はなかった。
 湿気に晒されたピンクの髪は、いつもとは違ってアスランを捕らえていた。


end


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