夜。近くに人の気配を感じて、アスランは目を薄っすらと開いた。暗い室内に、ぼんやりと影が浮ぶ。
誰だろう、とは、思わなかった。
「キラ」
名を呼ぶと、躊躇うような間があってから、キラはベッドの近くへ寄って来た。ごめん、と一言。
「起こしちゃった?」
「いや」
怪我のためにずっと寝ていたせいか、身体はだるいものの、今は眠気は訪れていなかった。ぱちぱちと瞬きを繰り返すうちに暗闇に目が慣れたのか、キラの茶色い、ふわふわとした髪が見える。触りたいと思ったけれど、身体が動かない。アスランは少々残念に思いながら、息を吐いた。
「キラこそ眠らなくてもいいのか?」
「うん……もう、すぐ寝るよ」
その言葉に、アスランがくすりと笑みを漏らす。キラが何? と目線で訊ねた。
「そのセリフ、よく聞いたな」
「え? いつ?」
「ほら、キラいつも夜更かししてて起きれなくて……たまに泊まりにいったときに『明日起きれないだろう』って叱ると、『もう寝るよ』って、よく言ってた」
「そうだったっけ」
「ああ」
懐かしいな、とアスランが言うとキラも頷いて微笑んだ。それから少し、隣を伺うように見やった。
隣とはいえ、簡易な仕切りを置いただけなので、声も気配もだいぶ筒抜けだろう。恐らくここにキラがいることにも気づいているのだろうが、何も言わず、寝たふりもしくは気づかないふりをしているだけで。
隣で横になっているのが、記憶はどうあれ本質はそういうひとだと、キラもアスランも知っている。だからか、キラが再びアスランに視線を戻したとき、なんだか二人で顔を見合わせて笑ってしまった。
「ずっとね」
「うん?」
「なんだかずっと、アスランに会いたかったよ」
何でもないことのようにキラが切り出して、言った。
「そう離れていたわけでもないのにね」
アスランは頷くこともできずに、ただキラの名前を呼んだ。キラの言う通り、昔に別れた頃に比べたら、そんなに長い間離れていたわけではない。けれども何故だか、穏やかにこうしてふたり、向き合えるのが、酷く久しぶりのような気がした。
「……ごめん」
「アスラン?」
ぽつ、と言葉が漏れてしまったのは、身体が弱っているせいかも知れない。アスランは思う。
「俺、前にキラに酷いこと言ったよな……」
ザフトに復帰して、初めて向かい合って話をしたとき。結局平行線のままに話は終わった。通信ではなく顔を合わせていたのに、触れられるほどの位置にいたのに、分かり合えずに哀しかったことをアスランは今でも覚えている。
あのときのことを、間違っていたとか、そうして無かったことにしたいわけではなかった。純粋に、傷つけたのならば謝りたかった。
キラは目元を緩め、アスランの髪を撫でるように触れた。「アスラン」
「いつもアスランのほうが傷ついた顔をするよね」
あのときも。そうキラは言って、瞼を伏せた。暗闇のなか、アスランは睫毛の陰影を辿ろうとして、再び開いた紫色の目に視線を移した。
「……寂しかった?」
「え?」
「アスランは、寂しかった?」
訊ねるキラの顔はからかっているわけでもなく、アスランは応えに詰まる。こういうとき寂しかったと言うには、アスランは不器用だった。そんなアスランの様子にか、キラは少しだけ笑って、
「僕は寂しかったよ」
会いたかった。という響きに似ていた。アスランは何も言わずに、キラの顔を見上げた。
「アスランがいないとなんだか――ずっとひとりなような気がしてた」
「キラ」
アスランの呼びかけに、キラは「そんなことないのにね」とやはり笑って瞼を伏せた。そうするキラを見て初めて、アスランは自分も寂しかったことに気づく。けれど寂しいとは告げられずに、ただキラの名を呼んだ。
「ごめんね、アスラン」
ずっとひとりにしちゃったね。
そう言って、キラはアスランの指に、自分の指を絡めた。普段よりも熱くて感覚の鈍った手。なのに絡められた指を、アスランはひとつひとつ知覚できた。肩から全身から、すとん、と力が抜けるような感覚を覚える。
「アスラン?」
力が緩んで、目尻を涙が伝った。寂しい、というよりもひたすらにキラを求めていた自分を、アスランは知った。
静かに自然に泣き出してしまったアスランに戸惑いながらも、キラは頬を伝う涙を拭った。拭いながらも、アスランの頬が笑みを浮かべるために緩んだのを知り、キラは首を傾げる。
「キラ」
キラも、繋いだ手を痛いくらいに意識しているのだろう。力を込めるのを堪えて震える指を、アスランは何とか握った。それからその手をベッドから上げようと試みると、キラが慌てたようにしゃがみこむ。
「どうし……」
言葉の途中で、繋いだままの手がキラの頬に触れた。濡れた感触にか、キラは驚いて目を見張った。アスランが微笑う。
「泣くなよ」
アスランだって泣いてるくせに。そんな声が聞こえたように思った。実際には、キラは泣き笑いを浮かべて、アスランの肩口に顔を伏せたのだけれど。
「キラ」
暖かい感触。首にかかって震える、やわらかい髪の懐かしさを、アスランは感じた。懐かしかった。
震える手。また涙が零れていくのを、拭えもせずにアスランは知る。
ようやく帰ってくる場所を、見つけられたような気がした。
end
2005/10/29
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