やさしいひと
novel
皆、優しいひとだった。
優しいひとたちばかりだった。
やさしいひと
「何をしている、」
パイロットロッカー。
もう、使われることのないロッカーの前に立ち尽くすアスランを見て、イザークは入るなり眉を跳ね上げた。
アスランはのろのろと俯けていた顔を上げて、「イザークこそ」と息を吐くように応じる。
そして、片手で、そのロッカーに撫でるように触れた。
金属がひやりと、熱を奪う。
「別に……どうだっていいだろう」
顔を背けて、アスランを、そのロッカーを視界から追い出した。
人工的な光に晒された床を見つめる。
「……そろそろ休んだらどうだ」
無言のまま、やはりそこに立ち尽くしたイザークに、苦笑を浮かべてアスランが言う。「明日にも『足つき』を補足できるだろう、そのとき動けなくてどうする」
「貴様が言えたことか」
顔を上げて睨めつければ、アスランは視線を合わせないまま「そうだな」と頷いた。
「――何をしていたんだ、」
かつん。
一歩前に踏み出し、アスランの目を覗きこんでイザークが再び問う。
アスランは息を呑み、詰め寄られた分だけ退こうとしたようだったが、それさえ許さずにイザークは彼の腕を強く掴んだ。
赤い軍服に、皺が寄る。
「……ニコル、を」
掠れた声で、諦めたようにアスランが応える。「思い、出したら、」
ひゅ、とアスランの喉が鳴った。
何かを堪えるように歯を食いしばり、そして息を吐く。
「……どうして、だろうな」
問うわけでもないのか、アスランが呟きを落とす。
つかまれていないほうの手でぐしゃりと髪をかきあげた。投げやりな仕草。
「ニコルは優しかっただけなのに、」
「アスラン、」
「ミゲルも、ラスティも――皆、ただ、優しくて、」
『守らなければ』
その想いに衝き動かされただけだったのに。
不意に優しく微笑んで別れた母を思い出す。
別れ際、彼女は一体何と言っていたのか――優しく強く在った、あのひとは。
「優しくて」
顔を手のひらで押さえたまま俯くアスランの腕を、イザークがゆっくりと放す。
力の篭っていない腕は、重力に従って本来よりも重々しくだらりと伸びた。
「優しい人ばかりだ――死んでしまうのは」
ぐしゃり。もう一度、前髪を掴むようにかきあげる。
そうして、自嘲気味に嗤う。
「……もう休め。『足つき』が見つかっても隊長が使い物にならないんじゃ話にならないからな」
隊長、という嫌味を言うことを忘れずに、イザークが忠告する。アスランは気付かないのか「ああ」とそぞろに返事をした。
「イザーク、」
しかし、ふと、アスランが何かに気付いたように顔を上げた。
「まさか捜しに来てくれたのか?」
「なっ!」
何の含みもなく訊かれ、応えの準備もなかったイザークは紅潮して言葉に詰まった。
「な、何故俺が貴様をっ!」
「うん、いや、そうだけど」
どうやら図星らしいイザークに、アスランがくすりと笑みを漏らした。
「ありがとう、イザーク」
仲間を失って悲しいと思うのは、自分だけではない。
彼だって同じことだと、アスランは気付く。
「すまない」と小さく謝罪した。
「だから捜したりなぞしていないと言っているだろうが!」
そう言って、
そう言われて、
蘇る言葉がある。
『またそうやってイザークは……もうちょっと素直になったらどうですか? ねえ、アスラン』
気付いている。
気付いていた。
こうやって、戦っていくことで、自分が何かを確かに失っていっていることに。
ただそれを、目の前に叩きつけられただけだ。
「イザーク」
再び張り詰めた声に、イザークが真剣に言葉を返す。「何だ、」
「死ぬなよ」
貴様もだと、言おうとしてイザークは留まる。
部屋に戻るために、ゆっくりと、アスランの手を引いた。
「俺もディアッカも貴様も――ニコルのように優しくない」
言葉にして、イザークは今自分が死ねないということに気付いた。
今、もし、自分が死んでしまったなら――誰がこの手を引くのか。
死ぬわけには、いかない。
「そうかもしれないな」
アスランはぽつりと応え、でも優しいと、唇だけで紡いだ。
部屋に戻るとディアッカが、「全くもうお前らってほんと馬鹿」とやはり眠らないで待っていた。
それでも欠けてしまった寂しさを、埋めることはできなかったけれど。
end
novel
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