「あ」
小さく上げられた声に、テッドは寝転がっていたベッドから身体を起こす。読みかけの本にしおりを挟む。
「どうした?」
「いや、これがさ」スィンは本棚のすぐ傍にある柱を示した。じっと目を凝らすと、スィンの肩の高さの辺りに小さな傷がいくつか確認できた。
「昔はよく測ってもらったんだよね、グレミオに」
「身長かー……グレミオさんは測るの好きそうだな。確かに」
テッドの心臓がひとつ、嫌な音を立てた。それを隠したくて、テッドは殊更に笑う。「最近は?」
「学校のほうで管理されてるから。年に何回か測るから、自然とね」
測らなくなっていったなあと、スィンは柱の傷を懐かしそうに撫でた。
テッドは曖昧に頷く。いま、隣に並んでいなくて良かった、と思った。気づきたくなくて、ずっと目を逸らしていた身長差。初めて会った時は、確かに自分のほうが数センチ高かったはずだ。スィンは成長期が遅いのか、年齢の割に少し小柄でもあったから。だが、今はどうだろう。
「テッド?」
どうかした? と覗き込んでくるスィンの手をテッドは掴んだ。そうしてその手のひらをまじまじと見つめる。
「なに?」
「手のひらが大きいと、背が伸びるって言うよな」
「そうだね」
手袋越しに合わせてみると、手袋が邪魔で分からないよとスィンは笑った。テッドも笑う。けれど、心の底のほうは、すっかり冷えてしまっている。
(仕方がない)
「テオさまも結構高いしな。お前も急に伸びたりして」
「そうかな。父さんを越えられたら嬉しいんだけど」
スィンの時間は確実に流れているのだと、不意に思い知らされる。ずっと一緒にいるから忘れそうになる。こんなにも、分かりやすいしるべは他にないのに。
テッドは一度拳を握った。忘れていたかった。忘れても、それがないものになるわけではないと知りながら。
「なあ、いま、測ってやろうか?」
「え、今?」
「そう。今。ほら、柱に背中合わせろよ」
何だよ急に、と不思議がりながらもスィンは大人しく柱の前で姿勢を正した。テッドは机に放られていた定規を手に、スィンの横に並ぶ。
確かめたくないけれど、確かめたいこと。
テッドは定規で、今のスィンの身長の高さの場所に傷をつけた。そうして、気づかれないように、そっと息を吐く。まだ、大丈夫。
「まっ。俺に比べたらまだちびっ子だな」
「何だよ。そんなに変わらないじゃないか。――って頭撫でるなよ!」
撫でるというよりぽんぽん頭を叩かれ、スィンはテッドの手を振り払う。テッドは笑いながらベッドに腰を下ろした。スィンはテッドに怒ってみせながら、当初の目的だっただろう本を引っ張りだしている。
「テッドを追い越すのなんてすぐなんだからな!」
「はいはい。これからこれから」
止まってしまえばいいのに。そんなことを思う。それがひどく身勝手な考えだと理解しつつも、そう願わずにはいられなかった。
止まってしまえば、気づかれないかもしれない。テッドの身長が伸びないことに、誰も疑問を抱かないかもしれない。
――そうしたら、ずっとここにいられるかもしれない。
(ばかだな)
右手に宿る闇のことを、忘れることは出来はしないのに。
気づかれないように、右手の甲で両方の目元を拭った。そうして、ふてくされているスィンに向かって口の端を上げてみせる。
「お前、ほんとにでかくなりそうだよな」
スィンは目を瞬かせてから、そうかな、と首を傾げた。テッドは頷きながら、その姿を自分が見るのは叶わないだろうことを寂しく思った。
置いていくのは、ずっと自分のほうだと思っていた。
紋章に囚われた者として、誰かを巻き込む前に全てを置いて去る日が来るのだと思っていた。
けれど、流れていく時間を進むスィンに追い抜かされた時、テッドはその背を追いかけることは出来ない。
置いていかれるのは自分のほうなのだと、テッドは初めて気づいた。
end
2011.05.14
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